第1499回例会 卓話『パラアイスホッケーから得たもの・人生の歩み』(2026年5月18日)
- 5月18日
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第1499回例会が5月18日に開催されました。記念すべき1500回目の例会を次回に控えた今回は、ニコニコBOX委員会の担当による卓話が企画されました。
卓話のゲストスピーカーには、岡谷市の「やまびこスケートの森アイスアリーナ」を拠点に活動するパラアイスホッケーチーム「長野サンダーバーズ」に所属し、日本代表としても長年世界と戦ってこられた吉川守様をお迎えしました。
『パラアイスホッケーから得たもの・人生の歩み』と題し、突然の事故による障がいを乗り越え、世界の舞台へ羽ばたいた激動の半生と、スポーツがもたらしてくれた大切な出会いについて熱く語っていただきました。
■ 1. 将来の夢と、突然訪れた「障がい」という現実
大工の夢を追いかけた少年時代: 子どもの頃からものづくりが大好きだった吉川様は、中学卒業後に専門学校で学び、建築会社に就職して大工になる修行に励んでいました。趣味のバイクの改造や仕事に夢中になり、18歳にして専門的な造作を任されるほど充実した日々を送っていました。
人生を一変させたバイク事故: しかし18歳の時、バイクの走行中に大きな事故を起こしてしまいます。命は助かったものの3年間に及ぶ過酷な入院生活を余儀なくされ、手術を繰り返した結果、左手と左足首に重い障がいが残ることとなりました。
■ 2. パラアイスホッケーとの出会いと「氷上の格闘技」の魅力
スポーツがくれた光: 入院中に同じ病院の患者から誘われた「車いすテニス」をきっかけにスポーツの楽しさに目覚め、車いすマラソンや車いすバスケットボールにも次々とチャレンジしていきました。
長野初のチーム立ち上げへ: 1994年、リレハンメルパラリンピックで正式競技となったパラアイスホッケー(当時の名称はアイススレッジホッケー)の講習会をニュースで見て興味を抱きます。その後、長野でチームを立ち上げる話が舞い込み、同年10月に日本初のチーム「長野チーム」を結成。吉川様は瞬く間にこの競技の虜になりました。
過酷な競技性と特殊な道具: パラアイスホッケーは「氷上の格闘技」と呼ばれるほど激しく、頭から足先まで頑丈な防具を装着します。選手は「スレッジ」と呼ばれる、お尻のサイズに合わせ2枚のスケート刃がついたソリに乗り、金属のギザギザ(ピック)がついた左右のスティックで氷をかきながら、時速30kmを超えるスピードで縦横無尽に駆け巡ります。
■ 3. パラリンピックへの挑戦と掴み取った「銀メダル」
ホッケーにのめり込んだ吉川様は、ガソリンスタンドでアルバイトをしながら厳しい練習を重ね、世界の頂点を目指し続けました。
1998年:地元開催の「長野パラリンピック」へ念願の初出場を果たします。
2010年:「バンクーバーパラリンピック」にて、見事第2位・銀メダルを獲得するという快挙を成し遂げました。
2026年:先日の「ミラノパラリンピック」では8位の成績を収め、自身6回目となるパラリンピック出場という偉大な足跡を刻まれました。

■ 4. 未来を生きる子どもたちへ伝えたいメッセージ
18歳で障がいを負い、一度は目標を見失った吉川様ですが、スポーツを通じて新たな人生の目的を見出しました。
「今自分が『楽しい』と思うことが、いずれ夢や目標になる。どんなことでも夢中になって楽しみ、色々なことにチャレンジしてほしい」 「真剣に取り組んでいると、自然とその時に必要な人との出会いが生まれ、応援やサポートをしてくれるようになります。その人々のありがたみや優しさを感じられたからこそ、私は32年もの長い間、スポーツを続けてこられました」
現在は中部電力パワーグリッド株式会社に勤務しながら競技を継続されていますが、ここまでの道のりは決して簡単なものではなかったと振り返ります。
クラブより:夢中になる力が未来を切り拓く
1499回目の節目となった本例会にふさわしい、吉川様の圧倒的な経験に裏打ちされたお話は、私たち会員の胸に深く突き刺さる素晴らしい内容でした。
何かに真剣に、そして純粋に夢中になる姿勢こそが、予期せぬ困難を跳ね返し、周囲を巻き込んで新しい世界や素晴らしい出会い(人とのつながり)を引き寄せるのだということを、吉川様の生き様から強く学ばせていただきました。
6月からは「やまびこスケートの森」のアリーナがオープンし、体験や見学も可能になるとのことです。この岡谷の地から世界へ挑み続ける吉川様と長野サンダーバーズの皆様を、岡谷エコーロータリークラブはこれからも全力で応援してまいります。
吉川守様、感動に満ちた素晴らしい卓話を本当にありがとうございました!












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